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大理石ってなに?
大理石ってなに?
大理石の語源は、中国雲南省に産する美しい斑状の石灰岩から由来している。 また かつて中国では、大理石産地の山が点蒼山なので、大理石のことを点蒼石とよんでいた。
中国雲南省 大理石
大理石の定義としては、広い意味の石灰岩からできているものをいう 一般に,結晶質石灰岩を大理石と呼んでいるが、非結晶質石灰石でも大理石と同じように装飾用石材として使われているものは、 やはり大理石とよんでいて、その区別は困難でる。
大理石を,分かり易く言えば、基本的は、石灰石で、色や模様が美しく、磨けば美しい光沢ができる石。
山口県 美祢(みね)産大理石の特徴と経緯
明治13年 長州ファイブのひとり、井上馨侯爵(初代外務大臣)が、笠井順八(小野田セメント創立者)に頼んで秋吉の大理石を採掘させ、明治24年 東京麻布鳥居坂に新居を建てる際に応接間に使用する。これが美祢産大理石が建材として使われた最初のものであった。
明治30年後半から、秋吉の経塚山を中心に本間俊平が本格的に採掘を始め、電気配電盤の需要に貢献する 。この需要を契機に山口県大理石業界の地位を確固不動のもとし、戦後の旺盛な復興を呼ぶ原動力となった。
山の大理石層の規模が小さく、亀裂が多いのであまり大きな塊は採れない。 しかし 国会議事堂建設当時、使用する石は全て国産品を使用する方針の中、議事堂の内装には美祢産大理石の10種類が用いられました。 結晶は荒いものから小さいものまであり幅があり。色は白又はグレーを基調としているが、「色物」として赤系、黄系、黒なども産出した。 産出量は昭和36年をピークを迎え、以後徐々に減少、現在は工業原料の炭酸カルシウムとして採掘している。
昭和39年 大理石採掘場 昭和39年大理石採掘場.pdf
右写真 当時 大理石を積み出す吉則駅(現在の美祢駅)
霞(かすみ) 美祢市大嶺町北分東山産 (現在の太平洋セメント鉱山)
国会議事堂内 衆・参両議院床に使用
秋吉台芸術村 外壁・内壁に使用 (右写真)
現在は建築材料、工芸品、庭石にも使用されている。
霰(あられ) 美祢市大嶺町北分台山産
三越本店(東京) 床に使用 (右写真)
建築材料、工芸品にも使用されているが、
最近は炭酸カルシウムの工業原料に利用されている。
薄雲(うすぐも) 美祢市大嶺町北分台山産
国会議事堂内 衆・参両印玄関床に使用 霞と市松模様
第1号議員会階段の段両側
新薄(しんうす) 美祢市大嶺町北分台山産
美祢市立病院 受付 壁
美祢国際芸術村 トイレ 壁 に使用
長州オニックス 美祢市大嶺町北分産
国会議事堂内 総理大臣室の暖炉に使用 (右写真)
美祢国際大理石シンポジウム(1996~2000)にて、美祢産大理石は彫刻作品にも適している事が確認できた。
現在、美祢ニュータウン 「来福台」 四季の緑道に設置されております。
緒方良信 (Yoshin OGATA)
水紋 (WATER MARK)
霰(あられ) h310x200x500
平井一嘉 (Hirai Kazuyoshi)
ハッピーバード (HAPPY BIRD)
新薄(しんうす)霰(あられ)h250x265x205